古きに始まる看護師の歴史の画像

看護師の起源は、中世ヨーロッパの修道女といわれています。17世紀以来、キリスト教の修道女・修道士が神への奉仕として、病人を集めて日常生活上の世話をしたのが始まりとされています。

有名なフローレンス・ナイチンゲールが30歳のとき, はじめてシステマティックな看護理論を学んだとされるディーコネス学園も、カイゼルスベルトの教会が経営する看護学校(カイゼルスベルト学園とも呼ばれる)でした。

修道女・修道士の画像

ここで学んだ彼女は、ロンドンの病院に勤務し、クリミア戦争が起こると、1854年に彼女は38名のボランティアの女性を組織して、自ら戦地へと赴きました。このとき敵味方なく行った彼女の看護活動は大きく評価され、多くの基金を集めることとなり、1860年6月24日にはナイチンゲールの名前を冠した看護学校がロンドンに開設されることとなりました。

彼女は、学校の指導要領などの細かいところまで注意を払い、看護婦としての仕事を、宗教から切り離し、専門の職業として学校教育の基礎を構築しました。こうして近代看護の道は、19世紀後半に、ナイチンゲールによって拓かれ、確立されたといえます。

1872年には国際赤十字のアンリ・デュナンがナイチンゲールを高く評価する声明を発表しました。1887年には英国看護協会の設立に尽力し、本国イギリスだけでなく、世界の看護活動に貢献することとなりました。そして1907年には女性としては初めて、メリット勲章を授与されました。

彼女はまた、統計学者としても知られています。クリミア戦争の際は、戦死者より戦病死者の方が多かったと言われる、野戦病院の極悪な衛生環境を軍の首脳部にかけ合って、強引に改善させ、この改善により、死亡率を数パーセント下げたことを、彼女が発明した統計グラフを使用して、証明してみせました。帰国後彼女は状況をビクトリア女王にも報告しています。

彼女は公的な場所への出席をできるだけ減らして、昼間は看護活動や後身の指導に当たり、夜は本の執筆を行った彼女は、生涯に150の本と、世界各地から送られて来る質問状に回答するために、12,000通もの手紙を書いています。質問状の中には、アメリカの南北戦争の際の衛生管理について書かれた、1861年に送られてきた手紙も含まれています。

彼女は生涯で3人の男性から3度のプロポーズをされています。しかし、彼女は上流家庭の奥方におさまることよりも、「神への奉仕」を選択したとされ、生涯独身で貫き通しました。女性も家庭に引きこもるだけでなく、社会に出て積極的に活動する生き方もあるという手本を、実践の中に見せてくれた人だとも言えます。

ナイチンゲールはクリミア戦争における天使であっただけでなく、数学者であり、なおかつ近代的な女性解放の思想家であったともいえます。

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